詠春拳のはじまりと、その伝承
起源
詠春拳の起源は、18世紀ごろの中国にさかのぼると伝えられています。
少林寺焼き討ちと、ひとりの尼僧
1735年頃、少林寺は清朝による政治的な理由から焼き討ちにあったといわれています。
この混乱の中で、「少林五老」と呼ばれる高僧たちが寺を脱出しました。
その中の一人が、**吴梅大師(ン・ムイ/Ng Mui)**という尼僧です。
伝承によれば、
このン・ムイこそが、詠春拳の源をつくった人物だとされています。
身を隠した山寺での出会い
清朝からのさらなる弾圧を恐れ、ン・ムイは人目を避けて暮らすようになります。
彼女が身を寄せていたのは、白鶴寺という山の中の寺でした。
ときどき生活用品を買うため山を下り、
そこで**嚴二(イム・イー)**という男性が営む豆腐屋に立ち寄るようになります。
嚴二には、**詠春(ウィンチュン)**という美しい娘がいました。
詠春という女性と、武術の伝授
ある日、嚴二は娘・詠春がトラブルに巻き込まれ、
親子で悩んでいることをン・ムイに打ち明けます。
それを聞いたン・ムイは、
詠春を白鶴寺に連れて行き、
自分が身につけていた武術を教え始めました。
詠春はとても才能があり、
わずか3年でその武術を身につけたと伝えられています。
山を下りた詠春は、
自らの力でそのトラブルを解決しました。
詠春拳という名前の由来
この女性・嚴 詠春(イム・ウィンチュン)の名にちなんで、
この武術は**「詠春拳」**と呼ばれるようになったといわれています。
当時は政治的な理由もあり、
詠春拳は表に出ることなく、
密かに、世代から世代へと伝えられていきました。
現代詠春拳への発展
詠春拳が、現在よく知られている形へと整えられたのは、
19世紀の武術家 **梁贊(リョン・サン/Leung Jan)**の功績が大きいとされています。
梁贊は「詠春拳王」とも呼ばれ、
詠春拳の基本となる三つの型、
小念頭(シウ・ニム・タウ)
尋橋(チャム・キュー)
標指(ビウ・ジー)
を体系化した人物です。
葉問へとつながる系譜
梁贊の実子である **梁壁(Leung Bik)**は、
後に有名になる **葉問(イップ・マン)**の師匠の一人でした。
こうして詠春拳は、
伝承から体系へ、
そして現代へと受け継がれていくことになります。
【イップマン】
葉問は、数ある詠春拳の流派の中でも、
最も広く知られている「葉問派詠春拳」の宗師です。
葉問の生い立ちと修行
葉問は1893年、清の時代に広東省佛山で生まれました。
裕福な家庭に育ち、最初の師である **陳華順(チャン・ワーシュン)**を自宅に招いて、個人指導を受けていました。
陳華順の死後は、
**呉仲素(ン・チュンソ)**の武館に通い、修行を続けます。
16歳で香港へ留学した際には、
**梁壁(Leung Bik)**に師事し、さらに詠春拳への理解を深めました。
香港での指導と詠春拳の普及
その後、時代の流れに翻弄されながら香港へ移住し、
生活のために詠春拳を教え始めたといわれています。
葉問は、それまでの伝統的な口伝中心の指導法を改め、
科学的で合理的、理解しやすい指導方法を実践しました。
この指導法によって、詠春拳は次第に広まり、
多くの弟子を育てることになります。
映画スター ブルース・リーが詠春拳を学んでいたのも、
この葉問のもとでした。
詠春拳、世界へ
葉問は1972年12月2日に亡くなりますが、
その後、弟子たちによって詠春拳は香港から欧米へと伝えられ、
現在では世界中で学ばれる武術となりました。
