詠春拳の歴史/イップマン
【詠春拳の歴史】
1735年頃、少林寺は清朝に政治的な理由により焼き討ちにあいます。
その時、少林五老が脱出に成功します。その中に吴梅大師(Ng Mui)という尼僧がいました。
伝承によると、吴梅大師(ン·ムイ)が詠春拳の創始者だと言われています。
ン·ムイは、清朝によるさらなる弾圧を恐れ身を隠します。
時々、身を寄せていた白鶴寺という山寺をおりて買い出しに行き嚴二(Yim Yee)という男性が営む豆腐屋に立寄り知り合いとなります。嚴二には、美しい娘詠春(ウィンチュン)がいました。
ある時、ン·ムイは、嚴二から詠春があるトラブルに巻き込まれ親子で悩んでいることを打ち明けられます。ン·ムイは詠春を白鶴寺に連れていき自分が身につけた武術を教え始めます。
嚴 詠春(イム·ウィンチュン)は、3年でン·ムイの武術をマスターして山をおり自らの手でトラブルを解消しました。
☆Wingchun History
詠春拳(ウィンチュン)という名は嚴 詠春に因んで名付けらたといいます。そして詠春拳は密かに世代から世代へと伝えられていきます。
詠春拳が現代のかたち(葉問派詠春拳)になったのは、当時”詠春拳王”と言われた梁贊(Leung Jan)(1826~1901)の影響が大きく詠春拳の套路(型)である 小念頭. 尋橋. 標指を制定したのも梁贊です。
梁贊の実子である梁壁(Leung Bik)は、3人いる葉問(Yip Man)の師匠の1人です。
【イップマン】
葉問(イップマン)は、数派ある詠春拳の中で一番知られている葉問派詠春拳宗師です。
イップマンには、3人の師匠がいました。
1893年清の時代 広東省佛山生まれ、家庭は、裕福で詠春拳の最初の師 陳華順(Chan Wah-shun)を自宅に招いて個人授業を受けていました。
陳華順没後、呉仲素(Ng Chun-so)の武館に通い詠春拳の修業を継続します。
16歳で香港に留学し、梁壁(Leung Bik)に師事します。
佛山に戻り、時代の波に翻弄されながら香港に移住して生活のために詠春拳を教え始めたといいます。
イップマンは、古来から続く伝統的な指導方法を捨て、科学的な視点から合理的で理解しやすい論理的な指導を実践し始め詠春拳は次第に広まっていきました。
ブルース・リーが詠春拳を習っていたのもイップ·マンです。
1972年12月2日没
イップマンの死後、詠春拳は香港から欧米に伝わり世界中に広まりました。
【リンク】
*EBMAS
*EBMAS Japan
*Web秘伝
https://webhiden.jp/guide/ebmashokkaido/
*インターネットで道場検索
詠春拳を北海道で学ぼう | https://www.dojos.org/archives/37963
*ジモティー
https://jmty.jp/aichi/les-spo/article-fvtxg
*EBMAS 岡崎
https://ebmasokazaki.simdif.com/
*趣味なび
https://coto.shuminavi.net/ie08-9a8e/school/s378-b268-8031
https://www.facebook.com/profile.php?id=100083488991564
※ジークンドー北海道
※EBMAS名古屋